ええ。小心者ですから・・・。

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悠遠夜話・番外編


悠遠夜話:中嶋さんの場合: その6

2012.10.18  *Edit 
▽TB[0]▽CO[0]

悠遠夜話:番外編
中嶋さんの場合: その6



『啓太。啓太や・・・私の坊や。生きるのですよ。例えどんなに苦しくても。
生きて、生きて、生き抜いて・・・・いつか幸せになって・・・。』


無慈悲にも人間が放った炎の中。 
母は崩れ落ちてくる外壁から啓太を護り、小さなその身をかたく抱きしめて
暗闇の中、呪文の様に何度も何度も啓太へと言い含めた。
優しい優しい母の香りに包まれてしまえば、今は戦場の最中だと言うのに、
うつらうつらと良い気持ちになって、いつしか啓太の意識はゆらゆらと遠のいて行った。

長いまつ毛がふるり・・・と揺れて、ゆっくりと晴れた空色が広がってゆく。
そして今はもう、すっかりと見慣れてしまった玄武邸の天井の格子模様を目にした時、
そこが母の腕の中ではない事を知り、あの時いっそ自分も母と共に黄泉の世界へと
旅立ってしまえばよかったのに・・・と堪らない寂しさが喉元へと込み上げてくる。

両手でグイグイと押さえ付ける様にして、拭ってみても、
次から次へ終わりなく流れ出る大粒の涙は止まらない。
この屋敷に来てから初めて、啓太は声を出して泣いた。
泣き方を忘れてしまったあの日から、誰はばかることなく大声を出して
目が潰れてしまうほど泣いたのだ。

「・・うっく・・・・母・・上・・・・母・・・うえぇぇ・・・」

優しかった母。 強かった父。
紅い紅蓮の炎の中に崩れ落ちて行く生まれ育った村。
こんなちっぽけな自分一人がこの広い世界に取り残されて、一体この先
どうすればいいと言うのだろうか。
嗚咽と涙はさっぱり止まらず、目は焼けるほどに熱い。
大声を上げて泣けば泣くほど自分はこれ以上ない程、一人ぼっちなのだと思い知らされて、
余計に寂しくて堪らなくなる。


どれくらいそうしていたのだろう
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってしまった頬に、そっと誰かの大きな手が触れられた。 
すっかりと焦点が合わなくなった啓太の瞳に、ぼんやりとその手の主が映る。

・・・おつき・・さま・・・??

そこには懐かしい故郷で、いつも父と母と見上げた碧くて優しい月の光が自分を見つめていたのだ。

「眠れ・・・今は静かに・・・。」

しおしおと元気なくうな垂れた長い啓太の耳元に、小さく小さく呟かれたのは、
この屋敷に来てから今まで、一度も聞いた事のない声だった。
でも、低くて良く通るその声は酷く優しくて、荒く波立つだけだった啓太の心を
不思議と落ち着かせてくれるのだ。

やがて、そろそろと遠慮がちに啓太の頬に近づいてきたその手は、随分と長い間
躊躇してから、やっと啓太の頬へと近づいて触れた。
その様はまるで硝子細工に触れるが如く優しく、羽根がふうわりと触れる様だった。
それからその手は、啓太の反応を伺うように多大なる緊張と一抹の不安を孕んで、
泣きはらした啓太の瞼をすっぽりと覆っていく。
視界を完全に遮られてしまった事に戸惑いを隠しきれない啓太だったけれど、
自分の顔を覆うその手があんまりにも優しくて、また涙が込み上げて来たようだ。

「ひっく・・・えっ・・・えっ・・・」

再び嗚咽を漏らし始めた小さな肩に、ひくり・・とその手は小さく震え、
一瞬たじろいだかのように啓太からわずかに距離をとったけれど、やがてそれは静かに
元あった場所へと還って来た。

顔を覆った手の主は何も言葉を発する事は無く、ただ動かずにじっとしているだけだ。
だけれど今の啓太には、幾百の慰めの言葉よりそれがずっとありがたかった。
我慢しなくていい、泣きたければ泣けばいいと、言われているようで心が楽になる。
いつしか啓太は、何かに引きづられる様にして深い眠りへと
ゆっくりと落ちて行ったのだった。



・・・・さま??
啓太様・・・・
お気づきになられましたか?・・・・

ぼんやりと目に映ったその輪郭は、今にも泣き出しそうだった。
そこにあったのはいつも自分の事を気遣ってくれる年嵩の侍女で、月色をした瞳ではない。

さっきまでここにあった、優しくて心地よい大きな手はいったい誰だったのか?
この耳に聞こえた声は夢だったのだろうか?

啓太は自分を慰めてくれた、あの故郷の月に似た瞳の人物の顔を思い出そうとしてみたが、
まだ覚醒しきっていない霞のかかった様な頭では、輪郭さえもひどくおぼろげで、
はっきりとした記憶が辿れない。
必死になって思い出そうとした啓太は、自分がどっぷりと分厚い床の中に埋まっている事に
ようやく気が付いた。

「・・・??・・・」

突然、目の裏に雷光の様に光が瞬く。
それはあの時、振り返ったこの屋敷の主である中嶋の冷たい瞳だった。
一切を拒絶する、感情の見えないその表情は
全てを凍らせる冬の夜の様で、啓太はその長い耳をあっという間にへたり・・・とさせ、
小さな身体をぶるぶると震えさせた。

あの人の眼は、なんて冷たくて、なんて恐ろしいんだろう。

「・・・・あの・・・・」

やがて啓太は、歯の根が噛み合わないほど肩を小刻みに震わせながらも、
やっとの事で声を絞り出した。 
自分を優しく見守る温かい瞳の内の一つだったあの若い侍女の事を思い出したのだ。

幼くても戦場で育った啓太には、真っ二つにされた女の細い身体が即死であることぐらい
とっくに理解できている。
わずかな刀傷で倒れて行く仲間達を、もう何人も目の当たりにして来たのだから、
命とは大層ひ弱なものだと言う事を、誰より知っているつもりだった。 
だけれど、万が一つでも、奇跡が起こるかも知れないならそれに賭けてみたかったのだ。
だって、ここは仙界だ。 
人間界にはない、死人さえもが蘇る秘薬があるかも知れないではないか。
もう誰かが死んでいくのを見ているのは到底耐えられない出来事だった。

「おねがい!!はやくお薬を!!!」

「啓太様・・・。」

あの人を助けて!!と悲鳴に似た声を懸命に上げ、小さな手で己の身体を必死に揺さぶる
心優しき長耳族の子を見た侍女はただもう、堪らなくなってぎゅっと啓太を胸元へと抱き込んだ。

「ありがとうございます・・・啓太様・・・ありがとうございます」

啓太を抱きしめる腕に力を込めたたまま、侍女は何度も礼を言いはしたが、そこを動こうとはしない。
どうして?と問う啓太の見開かれたままの大きな空色の瞳に映るのは、
涙ぐんでいるくせに何故だかひどく、嬉しそうな様子をしている不思議な女のその顔だった。

「啓太様・・・・すこし私の話を聞いては下さいませんか?」

そう、ぽつりと言って侍女はようやく胸の内に抱え込んだ啓太を解放してくれた。
その小さな肩にゆっくりと掛け布をかけ、宥める様にしてまた、床へと静かに寝かせながら。




::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


小さな手がドロで汚れてしまう事も気にせずに、深く深く穴を掘る。 
掘って、掘って、掘って。
ただひたすらに穴を掘る。
硬い土に絡まる根っこに指先が傷ついて、いつしか血がにじんで来てしまっても
啓太は構わず掘り続けた。
だって、痛いのは生きている証だ。
死んでしまったら、もう何も感じる事は出来ないのだから。
だから、我慢できる。
だから、我慢する。
もう何も感じる事の出来なくなってしまった者達の為に。
生きている証を、この身体いっぱいに感じるのだ。
例えそれがどんなことでも。


故郷に居た頃は、よくこうして生き残った仲間と共に
人間に狩られ死んでいった同族を弔ったものだ。
そしてまた、ここ仙界でもまた同じように啓太はその小さな手で墓穴を掘っていた。
あの日、軒先で真っ二つになって転げた若い侍女の為の墓穴を。


啓太が墓場に選んだこの場所は、玄武の屋敷がすべて見渡せる小高い丘の上だ。
何もない草原だったけれど、側には美しい声でさえずる小鳥がやってくる大木が
ざわざわと葉擦れをさせて地面へと木漏れ日を落としている。
記憶が確かなら、この木は確か香りの良い花が咲く木だったから、時期が来れば風が吹く度
木陰が揺れてそっと美しい花の雨を降らせてくれるだろうから、きっと一人でも寂しくないだろう。

女とは言え、死人一人埋めるにはだいぶ小さな穴を掘り終えた啓太が、
懐から小さな革袋を取り出し、たった今掘り上がった穴へとその口を傾けると、
中から黒と灰色の斑色した粉が真っ直ぐ下に零れ落ちていった。

さらさらと音を立てて穴へ零れ落ちるその結晶は、仙界の穏やかで柔らかな日差しを反射して
最後の一粒まできらきら輝きながら啓太が掘った穴へと残らず吸い込まれていく。
中が空になった事を革袋の口を広げ何度も確認した啓太は、さっき掘った土をまた、
丁寧に掬うのだ。
根気よく何度もそれを繰り返し、やがてこんもりと盛り上がった土の上に
近くに咲いていた優しい名を持つ黄色の野の花を摘んで、器用に束にするとそっと手向ける。

ほう・・と溜息を一つ落とし、ゆっくりと立ち上がった啓太の脇を、風がびょう・・と通り抜けて行った。
強い風は茶色の長い耳をふわりと揺らして、柔らかいくせ毛を悪戯にかき混ぜて行った。

「んもうっ・・・。」

小さく唇を前へと突き出して、過ぎ去って行く風に少しだけ悪態をついた啓太は、
あちこちに乱れた髪を適当に撫でつけると、あの日、あの年嵩の侍女が
ぽつりぽつりと呟くようにしていった言葉を、噛みしめる様にして思い出していたのだった。




「啓太様・・。私以外のこの屋敷の者達は 全てお館様が造られた土人形なのでございますよ。」

「・・・おにん・・・ぎょう????」

だから、あの者も本来の土塊(つちくれ)の姿に戻っただけなのだと、そう言って彼女は、
驚く啓太をそのままに、どこかずっと遠くを見る様な顔をしてぽつりぽつりと話を始めたのだ。

玄武の名と同じ名をもつ火山地帯にあるこの黒と灰色の斑の石に、中嶋の持つ
高度な術と息吹きを練り込まれ、彼らは動いているという。
朝起きて啓太の身づくろいを手伝ってくれたあの侍女達も、玄武の広大な庭園を日々美しく管理する下男たちも、皆、この屋敷の主が術で造った土人形だと言った侍女の言葉を、啓太はすぐ理解することが出来なかった。
偽りとはいえ命を与えられた彼らは、啓太と同じように微笑み、語り、時に涙することも出来たのだから。

女は啓太に色々な話を聞かせてくれた。
否、それはどちらかと言えばひとりごちる呟きに似ていた。
何故なら、彼女のその眼は啓太と目線を同じくして啓太を映してはいたが、
随分と遠くを見つめている様だったから。


仙界一の長寿を誇る玄武一族。
女の家は代々玄武の長の家へ奉公をし、彼女の母親は中嶋の祖父付きの侍女だったという。
もちろんこの侍女も紛れも無く玄武一族だ。
他の仙人一族と比べ、随分と長命な血が流れるその身体である事に間違いは無かった。
だがしかし、純潔の直系筋とは血の濃さが違う。当然、身の上に流れる時間の早さも全く異なってくる。
その証に、今の主である中嶋より随分後に生を受けたにもかかわらず、
幼い中嶋がやっと少年期を迎える頃に自分は、とうに成人を越え、
今となっては青年となった中嶋を見上げなければならないほど、
すっかりと老齢の域に入ってしまったのだと、彼女は皺だらけになった自分の両手を擦り合わせながら
「この婆にだって若い時はあったんですよ?」と、小さく穏やかに笑うのだ。

そうして、ひとしきり自分の生い立ちを語った侍女は不意に何かを思いつめた顔で
しばらく目を閉じたまま、おし黙ってしまった。
啓太は侍女が口を開くのをただ黙って、じっと待った。

やがて意を決したように、ゆっくりと目蓋を上げると啓太の小さな手を両手にとり、
静かに言葉をつづけた。

「どうか啓太様。あの方のお側にいつまでも在らっしゃってくださいませ。」

「?」

侍女が吐息のように漏らした言葉は本当に小さかったけれど、どうしてか
ひどく憂いを帯びて啓太の耳に届くのだ。

「これからお伝えする事は、まだ幼い貴方様にお聞かせするお話では無いのかもしれません・・・
ですが、お館様が貴方様をその腕に囲われて連れ帰られた時、私には判ったのでございますよ?
あの方の何かが変わるかも知れないと・・・」

何かとは一体何の事だろうとぼんやりと思った啓太だったけれど、それ以上彼女に聞く事は出来なかった。
長い年月をかけ、深い皺に隙間なく縁取られてしまったその瞳は既に白濁し始めて、
恐らくは残された時間がもうあまり長くないその事を、彼女が知っているように思えて、
どうしても二の句が継げなかったのだ。



父と姉は狂い死、母は精神を蝕まれ服毒して自ら命を絶った。
玄武の宮 中嶋英明は、幼くして両親や姉を失くした。

仙界に残された「玄武唯一の直系」と言う高貴な血筋は、
幼子を擁護する父や母が居なくなってしまえばそれは、非常に厄介な存在でしかなかった。
流浪の旅に出ていた祖父が仙界に戻り、孫である中嶋をその優しい腕に囲うまでの間、
親族からさえ疎まれた幼い中嶋が、一体どんな生活を送っていたのか。
今となっては知る由もないが、年端もいかぬ幼子が、近づく者全てを拒絶する
冷たい光を湛えた瞳になってしまうまでには、その身に想像を超えた出来事が
起こったであろうことは容易に推測し得る事だった。


その頃仙界では、玄武の幼き若宮は他人の命を吸い取り、それを糧に生きながらえていると
まことしやかに囁かれていた。
子供が大の大人の命を奪う・・・そんな話は到底信じられるものではなかったが、
見た目よりも、ずっとその身に流れる時間が長い玄武一族と、四神将だけが持つ
特殊で強大な能力が、嘘を誠に変えてしまうこともある。
そして更に、感情を表に出さず、怜悧な瞳を持つ高貴な生まれの幼子を
快く思っていない矮小な輩が同族に存在した事が、彼の不幸の始まりだったのかもしれない。

炎と風を司るは朱雀。風と雷を司るは白虎。
青龍は水を司り、そして玄武は大地を司る。
自然の息吹きを自在に操り、天空を安寧に守る誇り高き四神将。

彼らの迂愚な頭では、唯一残された直系筋が途絶えてしまえば、その『名門 玄武』の地位は
容易に亜種亜族へと引き継がれると信じて疑いもしなかったのだ。

玄武直系筋はどうやら残す所、この偏屈な幼子一人。
確か、もう一人純血の直系筋が残っていた筈だが、その人物は息子に家督を早々に譲り、
隠居してしまった長だ。聞けば流浪の旅に出たきり、もう何百年も戻っていないと言うから、
恐らくどこかで野垂れ死にしているか狂って死に至っているに違いない。
玄武一族は長命だが不死では無いのだ。
ことに直系筋は精神が非常に脆弱な者も多かったから、その人物も多分に例に漏れる事は無いだろう。
とにかく、この幼子さえいなければ、四神将の地位に着き、
その強大な力と莫大な富と名誉を思いのままにする事が出来る筈だ。
この最後に残った純血さえいなければ・・・。
以来、死肉にたかる蛆虫のような低俗で卑劣な思惑は、黒い渦となって中嶋の身体に
纏わりついていったのだった。

だが、死んだと思われていた中嶋の祖父が突如王都へと戻り、孫である中嶋を擁護すると
早々に玄武の長のその地位に返り咲いてしまった。
それからすぐ、その温厚そうな外見からは全く想像できない苛烈な手法で、
無知で愚劣な思惑を抱いていた亜種亜族をことごとく粛清し殲滅し尽くしてしまったのだった。


ようやく実の孫を手中にした祖父は、彼を真綿に包むようにして愛した。
いつでもどこへ行くのでも中嶋を伴い、本当に僅かな時間さえ惜しむようにして、
滅多にその側を離れる事は無かった。
やがて頑なに心を閉ざしていた中嶋が心を開き、彼がようやく本当の安寧を知った頃、
祖父はその天寿を全うすることになる。

実の祖父と暮らす事が出来た期間は確かに、穏やかな時間を中嶋にもたらした事は
紛れもない事実なのだと年嵩の侍女は言う。
そして至極寂しそうな顔をして続けるのだ。
若の笑ったお顔はそれはもうお美しいのですよ?と。
どうやら一人きりになって中嶋は、その心を再び閉ざしてしまったようだ。

他人との繋がりを隔てる様にして、王都中心部にあった華やかで壮麗な玄武の屋敷を引き払い、
この岩ばかりで何もない仙界の最果ての地へ居を移し、土人形を侍女や下男にして使い、
気に入らなければ眉ひとつ動かす事も無くその縛を解き、土に還す。
巷ではそんな中嶋の事を「変人」「狂人」と誰憚ることなく噂しているようだった。
だがしかし、当の本人はと言うと、そんな事には一向に我関せず。と行った風で、
玄武の地位を維持する為の最小限の仕事をこなし、それが片付くと
さっさと屋敷を後にして、人界や仙界をふらふらと彷徨い歩いている。

主である中嶋が一体何を考えているのか。
何を求めているのか。
何処へ行こうとしているのか。
侍女である自分には到底判る筈もない。
だがしかし、あの時、泥だらけの長耳族の子をその腕に抱いて帰った主を見て
どうしようもなく胸が高鳴ったのだと女は結んだ。





「何をしている・・・」

「!!!!」

啓太の小さな背中に低く、だが明瞭な声がかけられ、
それに驚いて弾ける様にして耳を立てた啓太は、極度の緊張に四肢を強張らせた。

聴力にはかなりの自信を持っていた啓太だ。
この長い耳は飾りでは無い。
長耳族の耳は、あらゆる派調の物音を聞き分け、
生きとし生けるものの身体から立ち上る熱を感じ取ることが出来る。
遠く離れた荒野で、羽を擦る虫の声を聞き分ける実力すら持つのだ。

人外の身であっても強大な力を持たない彼らが長い年月、どうにか人界で暮らしてこれたのも
その類いまれなる聴力の恩恵が多くを占めていたと言えるだろう。

だから、正直啓太は焦っていた。
わずかな物音もさせず、立ち上る生命の気配さえも全く感じさせる事無く
自分の背後に陣取ったその人物に、本能的に恐怖を感じ取っていたのだ。

やがて意を決し、そろりと振り返った啓太はもっと驚いた。
自分の背後に立つその人物が、あの日、眉ひとつ動かさず
若い侍女を真っ二つにして去って行ったこの屋敷の主だったからだ。

かたかた・・・と痩せた小さな膝が勝手に震えだす。
小さな啓太を映すその瞳は、真冬の凍った月の色をしてまっすぐにこちらを見下ろしていた。
自分を屋敷に連れて帰ったと言う自分にとっては命の恩人である中嶋と、
今、啓太は初めて真正面から向き合っている。

「何をしている・・と聞いている」

縮こまって震えている茶色の塊りから、とっくに興味を失くしたように視線を外した中嶋は、
真新しい墓を感情の読めない瞳でじっと見つめながら、
また同じ言葉と、抑揚の無い口調で啓太へと問いかけるのだった。

「・・・えと・・・あの・・おはか・・」

恐怖にさいなまれながらも絞る様にして、啓太は震える喉からやっと声を紡ぎだした。
死者を弔う為だけに造るのが、墓なのではないだろうか?
森羅万象あらゆる出来事を知り、自然界を意のままに操る仙人が知らないことなどある筈は無いのに 
わざわざ自分に問いただすその行為自体、啓太は不思議で堪らなかった。

「ふん・・・くだらんな。最初から奴らは土だ・・・」

吐き捨てるような中嶋の声が、啓太の頭の上に氷水のように降ってくる。
その声に感情の起伏は全くなくて、ただ、ただ酷く冷たい。
ぞくり・・・と心なしか周囲の気温さえ下がるのを感じて、目の前に立つ中嶋の
身体から発せられる強大な威圧感に、身体を押し潰されそうになる錯覚に陥り、
啓太はぎゅっと両眼をつぶってしまった。

だがしかし・・・。
なんだろう??

押しつぶされそうな恐怖と同時にさっきから、自分のこの耳に微かだけれど確かに感じるこの感覚は。
常人なら到底感じる事など出来る筈も無い、この小さな小さな違和感は一体。

「・・・。」

啓太は少しでも気を抜けば、しおしおと垂れてしまう両耳に力を入れ、ぴん!とそばだてた。
全神経を耳に集中させる為だ。
目で見えない何かを、手で触れられないそれを、この長い耳で感じ取る為に。
啓太は唇を噛みしめながら小さな握りこぶしを作り、さらに脚に力を入れた。
刹那、覚悟を決めてぐい、と伺い見たその冷たい月色の瞳の奥に、
小さく揺らめく光を空色の瞳は捉えたのだ。

「!」

光は極々小さくて、儚げで、ともすれば見失ってしまいそうになったけれど、
酷く酷く啓太の胸を締め付ける。

「・・・どうして、そんなに 苦しそうなお顔してるの?」

ひくり、と中嶋が怪訝そうに片眉を上げる。
やがて、硬質な輝きを持つ靉靆(あいたい=眼鏡の古語)の奥底で
今まで感情の読めなかった表情が急速に動き出し、それはいつしかみるみる歪んで、
その秀麗な眉間に深々と皺を刻んでいった。

「?・・・誰が・・・苦しそうだと?」

不機嫌を露わにして呟かれた中嶋のその低音の疑問符に、
己の感じたそれを思うまま口にしてしまった啓太がはっと我に返り、
次に続ける言葉を探したほんの僅かな間に、中嶋はくるりと踵を返してしまった。

「!!あ・・・。」

それは本当に一瞬の出来事で、啓太がその黒い影を引きずった広い背中を引きとめようと
腕を伸ばした頃にはもうとっくに中嶋の姿は丘の上から消えてしまって、
谷を通る冷たい風が、中嶋の衣服の裾を掴もうと開かれたままの啓太の掌を冷やして行った。





:::::::::::::::::::::::::::::

あくる朝。
あの墓へ新しい花を手向ける為に、未だ朝露も乾き切らない内から
息を切らして啓太が丘を駆け昇ってきた。


「・・・・・え・・・???」

丘のてっぺんへと登り切った啓太は小さく呼気を吐きだしたまま、その場に立ち尽くした。
ざわざわと幾陣もの風が、深い谷間から噴き上がって今日もまた、
遠慮なく啓太の柔らかな茶色の髪をかき混ぜて行ったけれど、今日の啓太はどうした事か、動こうとしなかった。
そこには信じられない光景が広がっていたのだ。

啓太はどうにも己の目の前に起こった出来事が信じられなくて、二度三度、
両の眼をその小さな手で擦って見ても、眼下に広がる風景に以前変化は起きない。
啓太の鼻先にゆらゆらと揺れるあの花は、あの日墓に手向けた黄色い花だった。
それは時折吹く強い風にざわざわとして、大勢の仲間たちと楽しげに歌を唄っているようにさえ見える。

さっきから茫然と立ち尽くす啓太をからかうように、色とりどりの蝶が舞い、
多くの虫達が集うそこは、昨日までの味気なさがすっかりと消え、
辺り一面花が咲き乱れる、それはそれは華やかで温かな草原へと変化していたのだ。

依然、あんぐりと口を開けたままの啓太の茶色の耳に、蝶がふわりと留まりそっと何事かを呟いた。

「・・・・・・・・そっかぁ・・・・・。」

誰もいないのに、そう呟くと啓太はぴるる・・と耳をひくつかせてにっこりと微笑んだ。

「そっかぁ・・・うふふ。・・そっかぁ・・・・・」

啓太は呟きながら、それにどこか唄う様な陽気さを含ませて、
衣服が朝露で濡れてしまうのも構わずに、転がる様にして黄色い花の草原へ飛び込んで行った。

帰りが遅くなってしまえばまた、あの年嵩の侍女に心配をかけてしまうだろうけれど、
今どうしても啓太はこの花々の中を思いきり走り回りたかったのだ。

走りながら啓太は考える。
だからせめて、この黄色い花を両手いっぱいに摘み取って行こうと。
それを見たなら、きっと彼女は優しくほほ笑んでくれるに違いないのだから。





風に揺らめく黄色い花が唄って、その花々に戯れる蝶が囁いてくれる。
木陰に小鳥たちを集わす木々達が優しく頷き、諭すように教えてくれる。
啓太のその長い耳に全てを。
あの冷たい手が、本当は温かい事を。

ここは仙界、最果ての地。

玄武の屋敷がある深い深い谷底に、今、小さく温かな一陣の風がようやく吹きあがる。
啓太のまろやかな頬を優しく撫でながら。



中嶋さんの手は緑の手ー(笑)

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